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     書 評 課 題 (第2回)  
  辻大介ゼミ7期    
 

河合幹雄 著
『安全神話崩壊のパラドックス 治安の法社会学』
岩波書店、2004年

犯罪の現状と体感治安の差が意味するもの

 昨今「日本は犯罪の少ない安全な社会である」という神話が崩壊したといわれている。これは多くの日本人が、「犯罪が増加し、客観的に安全でなくなったことが原因である」と勘違いしているためだとし、本書はこれを、専門的データを用いて否定している。著者の目的はそれだけでなく、このような勘違い、治安に対する不安が起こる背景を探り、将来のあるべき社会像を見出すことを中心にしている。
 第T部では、日本の犯罪状況を犯罪の統計資料をもとに検討している。ここで著者が多く語るのが、データの解析の難しさである。まず、犯罪という定義付けから簡単ではない。そして、統計の取り方が一貫していないことなどからも簡単に統計資料を鵜呑みにできないことを指摘している。例えば、刑法犯はデータ上、確かに年々増えている。しかしこれは交通事故を含んでいるからであり、一般刑法犯はそこまで問題視される数ではない。また人口あたりに対する発生率も同じで、データではここ何年か急増しているがこれは自転車の窃盗が大きく関わっている。保険が充実し、警察に届けられる数が増えたため認知件数が増えたのである。また2000年に主要犯罪の発生率が増加したのは、統計の取り方が大きく変わったためであるとしている。このように、詳細にデータを分析し、その結果やはり主要犯罪は減少している傾向にある。
 では、なぜこうまでも犯罪は増えているように感じるのか?その答えを著者は新聞に見出しにあるとしている。新聞も詳しく読めば、現状を正しく伝えるものである。しかし、ほとんどの人が見出ししか見ていないことや、見出しがセンセーショナルなものが多く、印象に残りやすいものであることが大きく影響しているというのが著者の考えである。だが、著者の目的はマスコミ批判ではない。むしろ報道から真実を見抜く力の衰退こそが真の問題であると指摘している。この原因は、実際、自分が身をおく共同体からの情報が少ないこと、その結果マスコミ報道を信じているというのが著者の解釈だ。また、あらゆる境界線がなくなったことが安全神話を揺るがす原因になっているとも指摘する。境界線がなくなるとは、昼夜の境界線がなくなり、結果いつも中途半端に危険が残る状態になったことや、著者が「オオカミとウサギ」と例える「すみわけ」がなくなってしまったことである。これらのことを含め著者は、日本社会おける伝統の特徴は、長期的視野で未来の平和共存を考えることであり、欧米のように個別性も考慮しながら、将来の社会のモデルとして、これに目を向けねばならないと述べている。
 著者自身も書いているが、所々急激な省略が入る。例えば、犯罪が増えているように感じるのは新聞の見出しのためであるなどはその良い例ではないだろうか。今後はこの点についてふれていきたい。

2007/04/03
[ 評者: 吉田 由起子 ]

 
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