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     書 評 課 題 (第2回)  
  辻大介ゼミ7期    
 

井上弘幸 著
『お笑い進化論』青弓社、2005年

笑劇の世界とアイデンティティ

 漫才、落語、コント、シュール、あるあるネタ…。テレビや劇場にあふれる「笑い」は、その種類だけでも様々である。これらを受け手の心情や演者の意図から「なぜ人は笑うのか」を分析するのは容易なことではない。
 著者は1999年〜2004年の漫才やコントを主な分析対象として、これらの笑芸の中に共通点を見つけ出した。劇空間でなぜ人は笑うのか。著者によると、劇空間に存在する複数の「世界」の競合とそれを中景から眺める観客の視点が大きく関係しているという。
 一つずつ説明していこう。ここでいう「世界」は地球全体という意味でもなければ物質界や生物界とも関係がない。著者が一番近いものとして「精神世界」をあげている。舞台上で展開される物語や状況の中の仮定された世界や私たちが生きる現実世界など、我々の意識が入ったり出たりできる複数の世界をここではいう。第二の条件である中景からの観客の視点は笑う主体を考える上で大事な条件となる。遠すぎると劇空間に現れる世界に入っていけない。逆に近すぎると世界を総体として見る視点を失うこととなる。お葬式コントやブラックジョークをおもしろいと感じるのは、遠すぎず近からずの少し離れた視座から見ているためだ。
 著者は特に第二の条件を現代人のアイデンティティを読み解くカギとしている。
 劇空間での観客の意識は会場の中の複数の世界のあいだを往還し、その精神の揺動が笑いを生む。優れた笑劇においては競合する複数の世界は強いリアリティで拮抗している。
 封建社会から産業社会へと変わり人々に近代的自我が生まれた。「私とは何か」の答を解くためには、個人の能力や強運ではなく個人を包み込む共同体のネットワークであり価値体系が必要であった。ところが情報化・インターネット化によるネットワークの多重化やメディアの伝える真実の客観性神話の崩壊もあり、何がリアルであるかという明確な基準を失ってしまったと著者は言う。
 舞台上に現れた二つの仮想世界がリアルに見えるとき、私たちは自分が属する現実世界をも受容しうる可能性を実感し、パラレルな真実をつかむことができる。著者は笑いとは自我の自由を明証し自己発見の悦びにつながる癒しの道程なのだと言う。
 優越感の笑いや共感の笑いといった受け手の心情だけではわからないことを著者は解説していた。これらは笑劇においてのみ言えるものなのだろうか。複数の世界とそれを中景から聞いている受け手という図式は日常会話にも表れている気がしてならない。私たちが友人とふざけあったりからかいあったりするとき、遠すぎず(無視しない)近からず(からかわれている内容を本気で受け止めない)、中景で受け止めているのではないだろうか。笑芸と日常の笑いを一緒にしてよいものか。そんな疑問も残ることとなった。

2007/03/31
[ 評者: 村尾 滋人 ]

 
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