宮台真司・石原英樹・大塚明子 著
『サブカルチャー神話解体』PARCO出版、1993年
少女マンガは新人類文化の前哨戦
本書は1993年に出版された古い文献だが、戦後からその当時までの少女メディア・音楽・青年マンガ・性的メディアについての歴史的変化を単に辿るだけではない。大規模な統計調査を実施すると共に、各メディアの内容を厳密に分析し、それらが登場した時代背景をも明らかにしている点は評価すべきである。
これらサブカルチャーのなかでも少女コミュニケーション、特に少女マンガが果たしてきた機能が絶大だったと著者宮台氏は主張する。
少女マンガには3つの流れがある。1973年以前の少女マンガの主流は、大河ロマン・成長もの・性愛ものの大衆小説的な少女マンガであった。これは、ありそうもない経験についての代理体験を読者である少女に提供するものだ。1973年に「乙女ちっく」と呼ばれる少女マンガが登場し、以降、少女マンガの主流は「大衆小説的な少女マンガ」から「私小説・中間小説的な少女マンガ」へと変わる。これを境にして、少女マンガが、<世界>を読み、<私>を読むための<関係性のモデル>として機能し始めたのだと述べられている。つまり、少女(読者)たちは自分がどんな状況下にあっても、少女マンガの中から「これってあたし!」と言えるモデルを探し出し、期待外れな現実を「ありうること」として受け止めるのだ。
このような少女マンガを小学校低学年から読み始めた1965年生まれ以降の女性たちは、少女マンガを通じて、<世界>の読み方や現実の中での振舞い方のシミュレーションを行う。あらゆる人間関係について解釈・正当化するモデルを習得するのである。この習得が期待外れについての「免疫力」と密接に関係しており、この「免疫力」が1965年以降に生まれた男女の間で全く異なるのだ。メディアを通じたモデルの習得度の差が直接的に人間関係の優位・劣位を決定する。この主張の根拠となる調査結果が提示されていないので、どうにも説得力に欠ける。
この事柄の背景に2つの前提があると筆者は指摘する。その1つに、モデルの習得の伝統的な「伝承線」が崩壊していることを挙げているが、果たして本当にそう言えるのか。その根拠は述べられていない。2つ目は、1970年代半ば以降、内憂外患がなくなり、社会が「内閉」したイメージになったことが挙げられている。
「大衆小説的な少女マンガ」・「私小説・中間小説的な少女マンガ」とは別に「西欧純文学的な少女マンガ」の流れもある。当時小中学生だった少女は「乙女ちっく」に馴染み、馴染むことができなかった一部の高校生は「大衆小説的な少女マンガ」に留まり、これら両方に満足できなかった一部の高校生がはまっていったのだと言う。これらが明確に分離したのは1973年から1977年のことだ。「乙女ちっく」は1977年には初期読者の加齢と並行して「これってあたし!」との結びつきを弱めていき、終焉を迎える。以後、<関係性モデル>としての少女マンガはさらに進化を遂げ、<私>の視点が複数パターンに分化し、自分の思い通りにならない「他者としての男の子」である<彼>が登場してくる。
この年は、新人類文化が始まる年でもある。筆者は、「乙女ちっく」に始まる「私小説・中間小説的な少女マンガ」こそが新人類文化の先駆けだと考えている。新人類とは、商品が語りかける「これがあなたです」という<物語>に「これってあたし!」と反応した世代のことを指している。新人類文化が始まる以前に「これってあたし!」という形で<私>のモデルによって自分や現実を読むための「訓練」の場を少女マンガは提供したのだと筆者は指摘している。言わば、少女マンガは新人類文化の前哨戦だったのである。この指摘は大変興味深い。
いかんせん冒頭で述べた通り、本書が出版されてからかなりの年月が経過している。1990年代以降の少女マンガは一体どのように変遷し、その内容はどう変化し、時代背景とどのように関連しているのか知りたいものである。
2007/03/31
[ 評者: 宮高 有季子 ]
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