宮原浩二郎・荻野昌弘 編
『マンガの社会学』世界思想社、2001年
その覚悟はあるか
本書は、マンガを取り上げて社会学の論文やレポートを書きたいという学生や研究者をサポートする参考書として編まれている、と冒頭で編者らは宣言している。
編者らによると、マンガをテーマに卒業論文などを書こうとしても、それは非常に困難なことであるという。
その理由を、村上の2章は以下のように説明する。
論文執筆の第一段階は先行研究を批評する作業であるが、現状、マンガを扱った社会学的研究の数はきわめて少ないという。これが意味するのは、執筆の際に、先行研究の中で実践されている議論の枠組みを引き継ぐことが出来ないということだ。例えば古典文学など既に多くの先行研究があるものに関しては、それぞれの論点を整理し、自分なりの分析を加えることで論文として事足りるし、論文の出発点を、それ以前に書かれたものの批評というかたちで定めることも出来る。それがマンガでは不可能なのである。
マンガはその特性――消費され、読み捨てられるもの――故に、古い作品であっても古典――後世に残すべきもの――とは見なされず、批評の対象とはなりにくかったのである。
先行する批評がないから新たな研究も生まれない、という悪循環によって、今までのマンガ研究は滞っていた。
マンガで論文を書きたいと思っても、論点すら与えられず、何から始めたら良いのかさえ分からないという苦しみがここにあったのだ。
そんな状況を打破し、本格的なマンガ(とその周辺の社会現象の)研究の方法論を確立しようというのが本書の試みなのであり、編者の宮原によれば、「マンガ社会学」の方法には、大きく分けて二つの可能性があるという。
一つは、特定のマンガを取り上げて、その作品の表現内容を批判しながら、社会学的知見に結びつける方法である。
もう一つは、個々の表現内容にはあえて立ち入らず、マンガの形式や、マンガの読まれ方・受け止められ方などを研究対象とし、例えばマンガ雑誌が社会に及ぼした影響を論じていくような方法である。
7章からなる本書の、1章から3章までの論文で前者の手法がとられ、4章から7章までが、後者の批評の枠組みを利用し、議論を組み立てている。
「マンガ社会学」の展開の仕方を定型化し、さらにその方法を実践してみせてくれる各章は、これからマンガをテーマに論文を書こうという学生たちにとって参考にするべきひな形となるだろうし、また、論点を呈示してくれる先行研究ともなろう。そうした点で、本書は「マンガ社会学」ビギナー必読の書と言える。
しかし、少年向けマンガ雑誌を読む女子(そしてその逆は少ない)を取り上げ、一見男性より自由に見える女性の文化消費行動と結婚・育児とを絡め、社会学の文化的再生産論に結びつける萩野の4章のように見事な「マンガ社会学」が描き出される一方、単なる作品解説に終始してしまっている藤本の3章のような論文も収録されており、玉石混淆の感はいなめない。
結局のところ、「マンガ社会学」は今やっと創生期を迎えたばかりで、社会学とマンガ研究のプロでさえ両者のバランスを取ることは難しいのだ。学生にはなおさらだろう。
だからもしかすると、本書が伝える最大のメッセージは、マンガで論文を書くことは生半可な気持ちでは出来ない、というものかも知れない。「マンガ社会学」は険しく、つらい茨の道だ。踏み出す覚悟はあるか。本書がそう問いかけてくるように思えてならない。
2007/04/02
[ 評者: 河辺 拓 ]
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