小檜山賢二 著
『ケータイ進化論』NTT出版、2005年
「ケータイ」による「ケータイ」のための「ケータイ」論
「携帯電話」と「ケータイ」、二つの異なる呼称は、単に若者が省略した訳ではないだろう。今や、大人達も自由にケータイを使いこなし、生活の一部としている。本書は、ケータイがもっている「音声」、「画像」、「環境」メディアの特性を分析し、ケータイがもたらした社会への影響と、今後のケータイの展望について記している。
ケータイの面白さは、小さなサイズのツールの中に、様々なメディアが含まれている点だと、筆者は述べる。まさにその通りだ。わずか10センチ程の機器を手放せず、ケータイに囚われている印象は否めない。興味深いのは、第6章の1「ケータイと場」に関する記述である。電話のコードはリアルな場にヴァーチャルな場を引き止めるロープであり、インターネットは、コンピュータという、基本的には個人が使う機器が設置される閉鎖された場所に、主体を拘束するものである。ところがケータイは、利用する主体のいる場とヴァーチャルな場の関係を一変させた。家やオフィスにしかなかったヴァーチャルな場への入り口が、自分にくっついている、つまり「ヴァーチャルな場への入り口の偏在化」が起きているというのだ。
これは非常に優れた指摘である。以前のように、会話を誰かに聞かれていないかと心配する必要はない。自分の好きな時に、好きな場所で、好きなことを話せるのだから。その利点が、一方でケータイのマナーを悪くさせているのだろう。話している本人は、相手との空間に入り込んでおり、周りの人間の存在を意識していない。逆に周りの人間は、公共の空間に異質な空間が混じっていることに違和感を覚えてしまう。最近ではバスや電車の中で電話をしているのは、大人が多いと感じるのだが、若者にとって、プライベートな会話を他の誰かに聞かれることは、格好悪いことなのかもしれない。
本書はケータイの技術的な説明を省き、分かりやすいメディア論形式になっているのだが、何度か読まないと、理解しがたい箇所がある。それが唯一の問題点だ。私はケータイへの空想めいた期待には賛成の立場で、個人的には「空気を読むケータイ」が開発されてほしい。運転中は留守番電話に直接接続、電車の中では自動的にマナーモード、飲み会では着信音がハモるのである。実に便利なケータイだが、実際に「携帯が空気を読む時代」を想像すると、気分が重くなる。タイミングを計ることが最優先され、何か行動を起こそうとするたびに、思索をする社会。それならいっそ、このままのケータイで良いと思えてくる。本書に出会えたおかげで、将来のケータイについて考えることができた。ケータイを扱うテーマに取り組もうとしている人なら、ぜひ一度目を通してほしい一冊である。
2007/03/29
[ 評者: 梶原 達也 ]
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