陣内正敬 著
「脱規範時代の方言コミュニケーション」
『言語』30(1)、2001年
「親」志向における方言の役割と阻害状況
現在、東京の女子高生の間で方言が流行っているという。マスコミなどでも、若者から発信された「方言ブーム」が幾度となく取り上げられている。その「方言ブーム」以前に、21世紀は「方言の時代」となるだろうと主張していたのがこの論文、陣内正敬氏の「脱規範時代の方言コミュニケーション」(2001年)である。
21世紀の若者世代のコミュニケーションは堅苦しいものより、親近感や楽しさを求める「親」志向になると筆者は指摘している。これが、配慮表現の違いとなって現れているという。要は、1つに、表現の自由裁量が大きくなり、場面による制約が少なくなっていること、2つに、方言などを用いて相手に積極的に近づこうとする表現が増すことである。ここに方言コミュニケーションの重要性が高まると筆者は述べている。
なるほど、確かに若者のコミュニケーションは親近感や楽しさを求める「親」志向の様相を呈していると言えるだろう。しかし、なぜ、若者がそれを求めるのか、受け入れるのかについては触れられていない。
国定教科書・ラジオ・テレビによって標準語が全国的に広がっていった。だが、どれだけ標準語が広がっても方言は存在する。現在は、各地で両方をうまく使い分けている状態だという。そこでは、方言はかつてのような「悪い言葉」ではなく、単なる情報伝達手段でもない。方言は標準語では表せないニュアンスを持ったもの・コミュニケーションを豊かなものにすると認識されている。
このような認識を形成した要因には、@現代日本人が標準語と方言のバイリンガルになったこと、A平等意識を育んだ戦後の教育、B日常の言語生活を取り巻く環境として高度経済成長期を経て豊かな社会になったことが挙げられている。これは、物質的に恵まれた社会になったものの、みんなで何かを共有するという経験が減ったために、心理的連帯感が薄れ、逆に連帯感を欲しコミュニケーション欲求が増すということである。最後に、筆者は、アメリカ文化の影響を受け、アメリカ人的コミュニケーションの受容が進んでいることが要因だとしている。こういった状況の中で、「親」志向のコミュニケーションの重要性が増し、方言コミュニケーションに大きな役割が与えられるのだと筆者は主張する。
高度経済成長期は1950年代半ばから1970年代初頭までを言う。その後、日常の言語生活を取り巻く豊かな社会が実現し、「親」志向のコミュニケーションの重要性が増し、方言コミュニケーションに大きな役割が与えられていった。それが高まったのが現在だと言える。
画一的・等質的集団志向が限界に達し、独創性と多様性がコミュニケーションに求められるようになったとき、方言コミュニケーションは重要な役割を担うことになる。その一方で、方言が健全なコミュニケーションを阻害するということもありえると筆者は指摘している。健全なコミュニケーションが阻害される状況とは、方言間摩擦のことである。方言間摩擦とは、他の方言を軽んじたり、敵対したりすることだ。
筆者が言う阻害状況とは違うが、東京の女子高生の間で流行っている方言においても、健全なコミュニケーションを邪魔するということはあるだろう。彼女たちが各地の方言を組み合わせて仲間内で話す場合、その使用する方言の意味を知っていることが前提であり、知らない者にとっては何を話しているのかわからず健全なコミュニケーションが成り立たないはずだからだ。
コミュニケーションに個性と独自性を持たすために方言が用いられるのはいいが、行き過ぎると、コミュニケーションの阻害を招くという筆者の指摘には肯かされる。
2006/10/20
[ 評者: 宮高 有季子 ]
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