難波功士 著
「ファッション雑誌にみる"カリスマ"」
『関西学院大学社会学部紀要』 87号、2000年
社会に遍在する「カリスマ」たち
「カリスマ」。ひと昔前にはほとんど知られていなかったこの言葉が、どのようにして一般社会のボキャブラリーとなり、いかなる解釈で使用されているのかを、主にファッション雑誌の枠内で研究しているのが本論文である。
「カリスマ」とはキリスト教用語で、"神の賜物"を意味し、神から与えられた超人間的な力、またはそのような力を持った人のことをいう。もともとは、政治家・軍人・預言者など、政治や宗教の世界の指導者に対して用いられ、他の人間を支配・誘導することと密接な関連があることが常であった。絶大なカリスマを持つと評される人物も、ナポレオンやヒトラーらのような、世界史を動かした指導者などの大物が多かった。
しかしここ数年「カリスマ」という語の指示対象が拡散し、用法が拡大している。通俗的な用法では「カリスマ」は人気のある人物や魅力的なパーソナリティの持ち主と、ほぼ同義に用いられるようになった。筆者はこの現象の背景を追うとともに「カリスマ」という語が現在ファッション(雑誌)の世界を中心に流布、拡散している理由に迫る。
80年代から90年代にかけては、「ライフスタイルリーダー」が、自分たちの向こう側にいる雲の上の存在から、等身大のモデルに設定されるようになっていく。その過程において「カリスマ」という語も、ファッションに関する素養やセンスを持ち合わせた人を指す語から、一般の人々に近しい「街のおしゃれさん」などにも使われるようになる。さらには、「カリスマジーンズ」「カリスマTシャツ」など、「人」とではなく「モノ」と結び付けていく用法まで登場する。このことを筆者は数々の雑誌(特にストリート系ファッション誌)の記事タイトルから読み取り、「カリスマ」の価値の切下げを指摘する。
これまでのファッションなどの流行現象を解明する際に、大きな説得力を発揮してきたのは、社会的ステイタスの高い一部の人のスタイルを大衆は模範するというジンメル以来の「トリクルダウン・セオリー(滴り落ち理論)」の図式であった。しかしそれは、現在のカリスマ現象には当てはめづらい。「映画やテレビといったメディアが、『国民的な流行』を創出し得た時代は過去となり、現在は、若者のスタイル、態度、テイストが、『次は何か』を知る必要のある、ファッション・フード・飲料・音楽・映画などのプロデューサーの嗜好へとbubble-upされていく」(Lopiano-Misdom&DeLuca[1997])というような「バブルアップ・セオリー(泡立ち理論)」が若者文化を表すのに適しているのかもしれない。
そして筆者は、家庭・学校・地域に安住の居場所を失った若者たちにとって、音楽やファッションに関するテイストがすでに共有されており、さらにそれを象徴的に体現する「カリスマ」を抱えている雑誌は、格好の居場所なのではないかと論じる。若者の仲間集団は、「イケてる」という能力を相互に是認しあうことによって成立しており、その能力こそが所属、関係への前提条件となってくる。その「イケてる」「イケてない」の判断基準を提供するのが、各雑誌がフィーチャーするカリスマたちなのであると結論付ける。
まとめの4、5章にかけての、カリスマ現象の原因と背景がやや主観的な論で進められている点が気になるが、雑誌を各年、細かく分析し、そのタイトルや内容から意味の変化を見出している点は評価できる。「カリスマ」という語が、単なる流行語として拡散したのではなく、若者の志向の変化を反映しているという筆者の指摘は興味深い。
2006/10/24
[ 評者: 松下 千桂 ]
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