土井隆義 著
『「個性」を煽られる子どもたち:親密圏の変容を考える』
岩波書店、2004年
不安だらけの友人関係
昨今の若者は、友達との親しい間柄であっても自分が傷つくことに強い恐怖心を持っている。そのため、異常なほどお互いに配慮しあっている。現代の若者にとっては、親密な友人と言っても決して気の許せる関係ではない。かつては自分の率直な感情をストレートにぶつけることの出来る相手だったのに対して、今では自分の感情を抑え込まなければならない相手であり、そうしなければ相手との良い関係を維持することは難しいと感じている。「素の自分」ではなく「装った自分」を優先させ、演技しなければ、お互いの関係が崩れてしまうのではないかと常に恐れている。本書はまずこう指摘する。
しかし、親しい関係の人間に対しては過剰なほどの優しさで相手が傷つかないように配慮する一方、第三者に対しては全くの無関心で、コミュニケーションを避ける傾向が強いという。それには、「他者の存在」をどう感じているかが関係している。若者の公共の場でのマナーの悪さ、例えば、人の目を気にせずイチャつくカップルや電車の中で化粧する若者などは「他者の存在」を無視し、周りに他者がいることに気づいてはいるが、自分にとって意味のある人間として認識していないのである。親密圏にいる人間に対しては「装った自分の表現」をし合っているが、公共圏にいる人間に対しては「素の自分の表出」をしているという。つまり、直接関係のない他者には素の自分をさらけ出すものの、関係の深い友達には演技している自分しか見せられないのだ。
これと同じような傾向として「ぼかし表現」がある。「ぼかし表現」とは、「とりあえず、〜」「〜みたいな」などといった断定を避ける表現である。若者は他人との対立を避けるため、自らの発言をぼかすことで対立点を見えなくし、相手との微妙な距離を保つために多用するという。若者にとっては、相手との仲を深めることや「素の自分」を出せる関係を望むことよりも相手とのスムーズな関係をいかに保ち続けるかの方が重要なのだ。
さらに本書は、若者が抱えている問題の一つに「つながり不安」があると論じる。絶えず友達とつながっていないと、そして絶えず自分が見られていないと不安に感じるという。携帯でのコミュニケーションでも取りとめのない内容のメールをし合い、つながっていることを実感し、自分の存在を示そうとする。かつての「見られているかもしれない」うっとうしさが、今では「見られていないかもしれない」不安に変化している。周りから浮くことや一人になってしまうことを恐れ、無理をしてでもお互いに関係を保ち続けなければいけない、群れ続けないといけないという意識を持ち、他者とのつながりを求める若者が増えているという。
このように、現代では実際身に付けているスキル以上にコミュニケーションが困難になっているというのが本書の主張だ。
議論の裏づけとして実際の事件や関係者の話、データ、新聞・雑誌記事、若者の意見など多くの事例を用いて現代の若者の友人関係の現状が述べられていたことには説得力がある一方、その使い方が、例えば、「最近の高校生たちは〜している」のようにまるでみんながそうであるかのような決め付ける表現がなされていた点には問題点も感じられた。
2006/10/20
[ 評者: 西中 智代 ]
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