B.W.ウォルシュ 著
『自傷行為―実証的研究と治療指針』金剛出版、2005年
自傷学への手引き
自傷とは何であるのか、それは自殺とはどのような点で区別されるべきなのか。
タイトルを見てわかるように、本書は自傷行為について書かれたものである。だが、この本は今まで日本で出版された自傷行為に関する本の中では異彩を放っている。
日本において自傷を扱った本が出版される場合、ともすれば、それは情緒的なもの、エッセイがほとんどで、研究者もこの問題に対してほとんどと言っていいほど、大きな関心を払ってこなかった。だが、本書は臨床心理学者の手による四半世紀に渡る膨大な数の自傷者との関わりの中から執筆されたもので、決して情緒的でない、冷静な研究者の一貫した筆致で描かれたものである。
本書は「自傷研究の展望」、「臨床における自傷行為」、「自傷行為の治療」の三部から成る。第一部「自傷研究の展望」では、これまでの自傷研究の批判的検討がなされ、自傷の定義が帯に短し、たすきに長しといった具合に研究範囲が狭窄すぎる場合、反対に広範すぎる場合があることを例示する。
視野が広すぎる場合には、「自分の健康を害する行為」、服毒・絞首・失敗に終わった自殺企図・ガス吸引といった問題まで自傷行為に含んでいる研究があり、逆に狭すぎる研究はリストカットだけに拘りすぎていて、広く自傷行為全般の類型という問題に関しては、いかなる知見も得られないと苦言を呈す。
その他、第一部では自傷と自殺の違いをカテゴライズしようと試みた研究を、簡単な一覧表にしてまとめ、適宜、批判的検討を行い、自傷行為とは何かという原点に振り返って、改めて自傷行為を再定義している。
第二部「臨床における自傷行為」では、初めに「青年期における自傷」に関する知見を紹介し、次に多くの臨床医が経験的に実感する「自傷の伝染性」についての先行研究の概観。また実証的研究により自傷行為のみが有意な差をもって伝染性を有することを明らかにしている。
ウォルシュは、結論部分で、治療プログラムでの自傷の伝染性の問題は、臨床的にも、あるいは研究対象としても、今後新たにとりくむ価値が十分にあるという。
さらに、第二部では三章に渡って「境界性人格と自傷」、「精神病における自傷」、「精神遅滞と自閉症における自損行為」の臨床例を報告している。
第三部「自傷行為の治療」では、すでに行なわれている治療技法のレビューが行なわれる。認知行動療法、精神分析療法、家族療法、集団精神療法の4通りの介入方法を評価し、結論の章では、ウォルシュらが現在行なっている多面的治療について紹介している。
本書は現在出版されている自傷を扱った本の中では、資料価値が突出しているものと評価できる。
ただ唯一、残念な点は、本書がアメリカで刊行されてから、日本で出版されるまでに17年の歳月が流れてしまったことだ。端的に問題点を指摘するとデータが古いということに尽きる。日本では90年代後半から学校現場など一般的な場所でも、リストカットが急増しているとされているが、本書からは日常的な場面においての臨床データは得られない。
しかし、データが古いからといって本書の価値はまったく損なわれるものではない。
なぜなら、自傷に関して、これほど広範な臨床例を載せた本は、他になく、自傷研究に関する方法論を載せた本の中で本書以上に秀逸なものはないからだ。広く自傷について学ぼうとするものは、何人たりとも、この本を避けて通ることはできないだろう。
2006/10/20
[ 評者: N.Y. ]
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