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     書 評 課 題 (第1回)  
  辻大介ゼミ7期    
 

本田透 著
『萌える男』 筑摩書房、2005年

オタクの恋愛観 〜萌える男達の心理

 近年、にわかに「萌え」「アキバ系」といったオタク文化がマスメディアに注目されるようになっている。浜銀総研研究所の統計によれば、2003年、オタク市場は2兆円を超える大市場になったという。オタク市場が大きな産業であることが、経済界でも認知されたということだ。こうした、市場の立役者であるオタク達、彼等をを語る中心的なキーワードが「萌え」である。
 著者は本書において、「萌え」とは、アニメやゲームなどの二次元のキャラクターに、脳内恋愛することであると述べている。オタク達は三次元の女性よりも、二次元の女性たちに魅力を感じ、それらを描いたフィギアなどを収集することに情熱を向ける。これこそがオタク市場拡大のメカニズムだと著者は主張する。つまり、オタク達は二次元キャラクターという空想上の存在を、生身な女性よりも存在とし、癒しや救済を与えてくれるものとしているのである。
 彼らはそこでのみ真の純愛を経験することができると言う。そして、オタク達は「萌え」に身を捧げることで、肉欲や消費に汚されない純愛を求めていると著者は結論付けている。
 そうした本書からは、オタク達が三次元の世界をどのように見ているかが明確に伝わってくる。現実の女性たちや恋愛は自分たちを傷つけるだけで、恋愛から結婚、家族へとつながる純粋な関係性はもはや破綻しており、現実社会に絶望しているさまが読み取れる。こうした現代の恋愛や家族の崩壊を「萌え」というキーワードを切り口として、本書は進められていく。
 その中での議論のポイントは、今日、恋愛結婚を基盤に据えた現代の家族制度が有効に機能しなくなってきており、様々な問題が発生する閉塞的な現状を打破するための、一つの思考実験運動として登場したのが「萌え」だ、というところにある。「萌える」ことで癒しを得たり、かえって暴力の暴発が抑えられており、そこで育まれたファンタジーが逆に、現実世界にフィードバックし、現実の問題の再生を促す可能性があるとしているのだ。
 このような主張が、著者の生活とオタクの生活と重ねるかたちで描かれ、本書の冒頭では著者がオタクであることが強調されている。そのようにオタク資本主義の中に身を置く著者が、恋愛資本主義によって、純粋な恋愛の象徴である萌えが汚染されており、それにも関わらず萌える男を差別する人に萌えを軽蔑し、差別するなと主張しても、説得力に欠けるところがある。著者は逆に、萌えこそが今日の不純な恋愛に対して考えうる唯一の救済措置であり、萌えることで人々はいつまでも純粋でいられるとオタクの立場でしか主張しない。また、現実に起きているオタク達による社会問題、例えば1989年に起こった連続幼女殺人事件などの一部のオタク達の黒い部分には触れられていないのである。つまり、客観的な中立の視点が欠けており、一般論として捉えがたいのだ。そのためかやや強引な理論構成が多く見受けられた。悪く言えば、著者の「夢物語」である。
 しかし、この著書の魅力はむしろそうした「夢物語」にある。素直に読めば素直に読むほど面白く、本書の言葉を借りれば、「萌えない人」でも、丁寧にオタク世界が描かれているので分かりやすい。だから、「萌え」が脳内で起こることであり、この著書も著者の脳内で描かれていることとして読めば、「萌えと恋愛観の変遷」「萌えと家族制度の崩壊」などの突飛な視点もなるほどと感じることができることであろう。

2006/10/25
[ 評者: 楠 仁 ]

 
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