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     書 評 課 題 (第1回)  
  辻大介ゼミ7期    
 

宇都宮直子 著
『ペットと日本人』文春新書、1999年

人間に愛されるペット、殺されるペット

 ペットブームといわれて久しい日本で、自らもペットを飼っている筆者が、日本人の動物観について考察している。核家族化や少子高齢化が進む社会で、動物と触れ合うことの意味は大きく変わったという。犬や猫は単なるペットの域を超え、人間の「パートナー」として扱われ、家族や友達と同じ扱いを受け、動物病院だけでなくペット用の美容院や専用ホテルなども惜しみなく利用される。飼育頭数は増え、ペットフードの素材は高級化し、葬儀まで行われる。また、ペットを失った飼い主が、その痛みから立ち直れず、食欲不振や睡眠障害、うつ状態に繋がる「ペット・ロス」も増えてきているという。ペットが子供同様に扱われ、深い愛情を受けることは、希薄になり続ける人間関係やストレスにさらされることが多い現代の1つの象徴と言えるのではないか、と筆者は述べている。
 飼い主がペット・ロスになるほど愛され、大切にされていた動物が、生前不幸であったはずはないだろう。しかし、全部が全部そんなペットばかりではない。日本では、毎年、70万匹以上の犬や猫が施設にて殺処分されている。しかも、そのほとんどが、一度人間に飼われ、捨てられたペットであるという。実際、犬や猫が捨てられる原因には、無責任極まりないものが多く、吠える、鳴く、毛が抜ける、においがするなど、生理的なことを問題とされて、強引に死に追いやられるケースもあるという。ペットショップなどで簡単に買えるようになり、簡単に手に入れて、簡単に手放すという風潮ができてしまったのかもしれない。また、ブリーダーによって捨てられたと思われる同種の犬や猫も発見されており、増やすだけ増やして売れなかったから捨てるという人間の身勝手さをここでも見ることができる。
 今、ペットレンタルというビジネスがあるという。生命を金銭で貸し借りするというのは、倫理的に問題があるとも言えるし、批判の声もあるという。しかし、無責任に、安易な気持ちでペットを購入し、簡単に捨ててしまう人が多いことを考えると、ペットをレンタルで飼うほうがまだ責任感のある接し方なのかもしれない。
 過剰なほどに溺愛されるペットがいる一方で、飼い主によって殺されるも同然のペットもたくさんいる。動物を取り巻く環境の変化に伴い、現実が求める内容に、法律が追いつくべき時期にきていると筆者は述べている。
 筆者は、自らもペットを飼い、愛猫を「欠くことのできない生活のパートナー」とし、ペット・ロスの問題も含めて、自分にも大いに関係があると認めている。しかし、同時に飼い主に死に追いやられるペットがたくさんいることを認識し、飼い主の身勝手さも理解している。ペットに過剰な装飾品をつけることも、栄養がありすぎる高級なペットフードを与えることも、人間のエゴでしかないことを理解している。
 しかし、筆者は、去勢手術の徹底と理解を、他の飼い主に望んでいた。施設に持ち込まれた動物の中には、産まれて間もないものも多く、それは、去勢手術の不徹底が原因であると考えられている。たしかに、去勢手術がもっと行われていれば、産まれてすぐに死に追いやられる生命が減るのは間違いない。しかし、動物が先天的に持つ生殖の機能を人間の手で奪ってしまうのは、人間のエゴであるような気がして仕方がない。飼い主がきちんと管理していれば、望まれない妊娠はなくなるのではないか。実際、飼い主に捨てられた犬や猫が他の犬や猫との子供を産んでいるというケースも多いという。すべては、飼い主の、飼い方ではないかとも思う。生命に、責任がもてない飼い主には、動物を飼う資格はない。そんな、当たり前のことを理解していない飼い主が多すぎるのかもしれない。
 また、ペットが深い愛情を受けることは、人間関係が希薄になっていることや、ストレスが原因と述べられているが、もう少し、このことの裏づけになる論述がほしかった。

2006/10/24
[ 評者: 尾崎 友紀 ]

 
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