井上俊・船津衛 編
『自己と他者の社会学』有斐閣、2005年
他者が作る私
編者の言葉をそのまま借りるなら、本書は「私という社会現象」についての本である。「私」とは、私自身や他者によって様々な形に作り上げられる社会現象なのだ。
本書は二部構成(T部「私」を社会学する、U部「他者」とのかかわり)であり、各章ごとに著者が違うが、各章に共通している論点は、「私」という自意識を形成する上での「私」と「他者」の切っても切れない関係についてである。
第1章で本書編者の船津は次のように記している。「私」が「私」でありうるためにはまず、自己認識が必要である。それと同時に「私」とは、他者を通じて社会的に形成されるものである。しかし、最近の傾向としては「私」とは他者あってのものであり、「私」とは他者の視線・期待を強く意識して形成されることが多い。つまり、「他者の過剰」が「私」を認識する上で強い要素となってきているのだ。
よい自己表現の条件の一つに自分への気づきがある。自分への気づきがあって、次にそれが表現されるという考え方である。これに対して、自己表現を通じてこそ自分への気づきがあるのではないかという考えがある。自己表現が他者に受け入れられることで自分が何者であるのか、自分らしさを発見することができるというのだ。
本書の第11章に「<視線>としての他者〜ファッションをめぐって〜」がある。この章で河原は次のように記している。今日、私達はファッションが「私らしさ」を表していると感じている。自分でデザインしたわけでもなく、縫ったわけでもない既成品を身に付けているのにも関わらず、そこに私らしさがあると感じている、と。
では、私達がファッションや持ち物にこだわってまで周囲に伝えようとする「私らしさ」「自分らしさ」とは一体何なのだろうか。河原は「自分らしさ」「私らしさ」は自分が他人とは違う個性「私」の持ち主だと主張することではないという。私たちは他者からの尊敬や愛を受けるため、脆弱な自我を維持するため、あるいは自我の代替物とするためにファッションなどにこだわり、「私らしさ」「自分らしさ」を表現する。今日では、ファッションや持ち物がライフスタイル、さらには人格を表現する制度として社会に認知されている。そのため、飾らなければ、自分がどんな人間なのか、周囲の人間に理解してもらえないという焦りを、多くの人が感じている。また、自分自身が、自分である「私」を認識できていない人は、周囲に自分がどういう人間なのかを伝えたいという主張よりも、他人の目を気にした「自分は危険ではない」「自分はダサくない」といった情報を周りに伝えようとする。
核となるテーマは同じとはいえ、1章ごとに著者の違う本書の情報量は広く浅い。しかし、ファッションやアイドルなど親しみやすいテーマを扱いながら社会学の基本的な概念を盛り込むなどの読みやすさが本書のよさであると言える。
2006/10/20
[ 評者: 岡部 亜紀 ]
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