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     書 評 課 題 (第1回)  
  辻大介ゼミ6期    
 

安藤喜久雄 編
『若者のライフスタイル』
学文社、1998年

本書が発行された1998年当初の学生やその少し上の世代は、一般に団塊ジュニアと呼ばれる人々であり、若者の中でも人数が多く、彼らの生活や行動様式注目されてきた。本書はこの団塊ジュニアを中心とした若者のライフスタイルに焦点を合わせて書かれている。またこの本は10章に分かれており、各章の執筆者が異なる 、異なる論者がそれぞれのアプローチを試みた10章から構成されている

第一章は若者のライフスタイルを学ぶにあたり、いつライフスタイル論が始まったのか、ライフスタイルとは何かが述べられている。また現代社会の変動から産業化・都市化・高齢化の三つをとりあげ、社会的環境における若者の特徴を親の団塊世代と比較して述べられて 分析している。

続いて第二章は若者の性問題についてである を扱っている初めは 冒頭では、偏在する性情報、ブラックボックスとしての性、また若者の性問題を論じる時に常に課題である となる性教育・性学習について述べられており、そして商品としての性「援助交際」、男らしさや女らしさといったジェンダー論へと話は展開する。
昨今の社会現象としての「援助交際」は制服の衣装を用いた虚構の関係であると筆者はいう。女子高生たちは自分を大切にしているからこそ自分を売り、お金に変えるのだ、幸せはお金で買えるのだ、という自分たちなりの援助交際の論理を持つ。
戦後社会においては、個々人が自分の能力を開発して自立する力を養成することが価値あるものとされてきた。個々人 は、自己の能力を競争の中で鍛え、最大限に拡大してそれを売り、多くの対価を得ようとつとめる。われわれの生活の根底にある価値観はそれらが結びついた「買える論理」ではないかと筆者は考えている。援助交際の論理を個の自立と、金銭に換算されうる能力への信奉によるものと考えると、先ほどの「買える論理」に当てはめることができる。このように援助交際は「買える論理」を含めた現代社会の価値への一つの適応形態とみなすことができるかもしれないと筆者は指摘する。

第三章は家族についてである。核家族という団塊家族の特質を述べており、その家族の意味するもの、夫婦の関係とはどういうものかが書かれて 論じられている。

第四章では、若者のコミュニケーションについて第四章では述べられている がとりあげられる。現代社会における三種の神器といえば は、携帯電話、パソコン、ポケベル(2005年現在ではあまり使われなくなったが)である。この新しいメディアの登場により人々のコミュニケーション・パターンは大きく変化することとなる。

続いて第五章は若者にとって職業とはという題で テーマのもとで、若者のアルバイトのよしあしや、現在の若者の新たな問題、『離・転職』について述べられている。働くということは、他人の役にたち、自己が拘束感・強制感を抱かずに自発的に[???*1、社会性を体言化した 体現した禁欲的な仕事本位の職業は理想的過ぎるかもしれないが、他人本位でなくては成立しない職業という場において、いかに自分本位(自己的成長の実現)の活動に近づけ、「職」の実体化を可能にするかの難題に取り組まなければならないと筆者は指摘している。

第六章はキャンパスライフ、大学生について述べられている。ここでは1967年のある学生の事例が書かれている。これは植垣康博氏の『兵士たちの連合赤軍』から引用されている。ひとつ紹介してみよう。1967年、東北にある国立大学の理学部の学生は大学に生きる場を求めてい。つまらぬ講義に失望しつつも、サークル活動に大学生活を求めるが、そこは趣味的・娯楽的なものばかりで、彼の望む科学的な研究活動を行っているサークルはなかったという。生きる場を大学に求めていたがそれを見つけることのできなっかた彼。彼はその後いくらかの紆余曲折を経て、彼は連合赤軍のメンバーとして活動し逮捕され、長い獄中生活を送ることとなった。
ここで筆者は連合赤軍事件と大学状況の因果関係を主張するのではなく、ただこの文章の雰囲気は現在の私たちにも十分に理解できる心情であると筆者は ことを指摘する。
また一見突飛な事例を持ち出しているように感じるが、それは、一人孤独に生活を送る大学生の姿ではなく、「仲間」集団の中でしか生きられない、そうせざるをえない大学生像を表している。このことは今の若者、昔の若者いずれにも共通することである。

第七章は若者の生活と消費行動についてである。ブランド品を買いたいがためにバイトをする女子大生、旅行にいくために働く若者たち。ブランド品を身につけることの意味とは何か、旅行といったレジャー活動をなぜ人は行うかなどが書かれている。

続いて第八章は、晩婚化や未婚化、内縁や、同棲・事実婚の違いについて書かれている 論じている*2。男女交際と恋愛、出会いの場、見合いの話まで書かれている。しかしながら最近話題のパラサイトシングルについてはそれほど詳しく書かれていなっかたのが残念である。*3

若者の規範意識ということで について、若者言葉や若者のキャンパス内における行動について書かれている を題材に分析しているのが第九章である。現在の若者をある絶対的な立場から問題視し、批判し、非難することは容易である。現代の若者の特徴的であるといわれる事象も、その多くはかつての若者がその当時の自己の様子を忘れ去り、無自覚的に現在の自己のありように投影して ってしまっていることによる問題や批判・非難である可能性がある。さらには、指摘されている問題や批判の多くはその時代の他の世代に共通の事象であることもあると筆者は指摘している。

第十章においては若者のかかえる心理的課題について が扱われ、身体的悩みや親からの自立、人との付き合い方、自分らしさの確立について書かれている。

本書は若者すべてを深く知るにはすこしものたりない*4。それは各章が別れていること、執筆者がことなるということも 異なり、論旨が一貫していないためもある。そのため たとえば、第六章では人は仲間がいなければ生きてゆくことはできず、これは若者だけでなくどの世代にも共通することだと指摘する一方で、第九章においては、現在の若者は他者との連帯を好まず、社会的に原子化し、他者との摩擦をさけていると指摘するなど矛盾が生じている。
しかし若者を知るための初めの本としてはなかなか良い 論の入門書としては、良書といえるだろう。本書は若者について幅広い分野について書かれている。そのため広く浅く 幅広く*5、若者とは何か、現在言われて 指摘されている若者の問題点は何かというのを 、その要点を知るには良い作品である ことができる*6。各章それほど長くなく とも簡潔にまとめらており、問題点も整理されている。難しい社会学の言葉 社会学の専門用語*7それほど使われていない。もし むやみに使われておらず、使われていたとしても最後に「コーヒーブレイク」という コラムのなか保釈がついている 注釈がつけられている*8そのぶんだけ非常に読みやすい作品である。 それによって、専門知識のない初学者にもかなり読みやすくなっている。

2005/05/18
[ 評者: S.R. ]

*1:ここに何かことばが抜けていませんか?この一文は「文」として成立しておらず、しかも、ずらずらと長すぎる。2〜3文に区切って、わかりやすく
*2:「〜書かれている」「〜書かれている」ばかりが続いていて、文章が単調
*3:この本の出版された98年には「パラサイト・シングル」という言葉・概念はありませんでしたから、書かれていないは当然でしょう。それを「残念」がっても無意味。山田昌弘氏の『パラサイト・シングルの時代』が書かれたのは1999年です
*4:いや、「若者すべてを深く知る」ことは、どんな本でも不可能ではないでしょうか?
*5:「広く浅く」では褒め言葉になっていない
*6:学術書を「作品」とは言いません。小説ならともかく
*7:もう高校生ではないのだから、「難しい言葉」はやめてください
*8:「保釈」ってのは刑事用語ですよ。意味をまちがえておぼえていませんか。この場合は「注釈」か「補足説明」でしょう

[ comment ]
こういう複数の著者による論文集(特にテキストとして書かれたそれ)の場合、各章で論旨がまちまちなので、書評するのは難しいと思います。とりあえずは、よくがんばりました、と言っておきましょう。
ひとつアドバイスを書いておくと、こういう複数著者の論文集の場合は、全体をざっくりまとめて、章は主だったもの・おもしろいものを代表例としてとりあげて要約するとやりやすいです。評価・批判は、個別の章よりむしろ編者の意図や目的に焦点をあてるとよい。
まとめにくかったでしょうから、しょうがないところはあるのですが、文体が単調なところが気になります。文末に「〜述べている」「〜書かれている」がくり返される、とか。
「難しい社会学の言葉」とか「それほど使われていない」「それほど長くない」とか、やや稚拙さを感じる表現も気になります。それこそ“難しい言葉”を無理に使う必要はありませんが、文章には格式を整えることも必要です。ちょっと気をつけてみてください。

 
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