西村則昭 著
『アニメと思春期のこころ』
創元社、 2004年
アニメから知るこころ
本書は、臨床心理士でもある著者が、子どもたちを熱中させるアニメヒロインに焦点を当てて、思春期の子ども、あるいは、思春期を漠然と予感している前思春期のこどもたちの深層に迫ろうとしているものである。
また、それと同時に彼女らとの対話から見えてきた、九十 九〇年代に流行ったアニメのアニメ論 評論*1 であるとも言えるだろう。
まず第一章では、著者が、アニメはなにか思春期心性をもっているに違いないと考えるのは心理学においてどういう点からかということを具体的な作品論に入る前に述べられている。*2 具体的な作品論に入る前に、著者は心理学的観点から、アニメが思春期心性をもちうる理由を説明している。
第二章では、「第二次アニメブーム」の前身である『美少女戦士セーラームーン』を例に挙げ とり、この作品が男子にとっては、自分が登場人物のふさわしい恋の相手であるかのような空想を思わせる に空想させる対象であったことを論じている。
そして、女児*3 には思春期のイニシエーション(心の決定的な変容過程)の擬似体験になったり、あるいは、実際にその一部を構成したりするものであったことが指摘されている。
思春期女子のイニシエーションにより迫った作品として、さらに第三章では『スレイヤーズ』が紹介されている。
この二つの章に共通して言えることは、思春期女子のための男性像が描かれていることだろう。
それは、『セーラームーン』では、衛(=タキシード仮面)*4 であり、『スレイヤーズ』では青年騎士ガウリィであった。
衛は男をあまり意識しない理想の男性像[???]*5 であった。
一方、ガウリィは、アニメヒロインに注がれる「男の目」をもっていたことも述べられている。
どちらにしても思春期女子にとっての、頼れる男性であった。
続いて第四章は、著書が本書の中で最も重要だと考えている『新世紀エヴァンゲリオン』論である。
この『エヴァ』では、思春期にある登場人物の心理を、アニメの展開、背景、結末を見ると共に 紹介するとともに解説をしている。
主人公である碇シンジのイニシエーションの過程としての「死と再生」。
惣流・アスカ・ラングレーの過去のトラウマによる葛藤。
綾波レイの「私」とはいったい何かというアイデンティティへの問い。
「死と再生」「トラウマ」「アイデンティティ」という問題は、いずれもどの登場人物にも当てはまることだが、具体例として[???]*6 アニメのストーリーを追っている。
この作品は、思春期の子どもたちが自分自身の心に目覚めていく様 さまを描き、また自己愛的な男性を描き と、それを拒絶している するヒロインを示している。
次に著者は、『エヴァ』とは違った趣向のもの(「ポスト・エヴァ」)として、『機動戦艦ナデシコ』『アキハバラ電脳組』『lain(レイン)』の三つを次に挙げている。
これらの作品は、それぞれ別の角度から思春期のこころに迫っているが、いずれも「私」とは何か、そして友達関係、自分の周囲との人間関係について述べられている を描写している。
更に、人間関係を語るために次の章で挙げられているのが『少女革命ウテナ』である。
この作品は「男」にこだわった『エヴァ』とは違い、相当女性的な感性を持ったものであるとしている。
それは、ヒロインが男装の十四歳であり、兄妹相姦であるような少女マンガふうの耽美主義的なものだった。
第七章では、その少女マンガ的なモチーフである「同性愛」をテーマにして、『エヴァ』や『ウテナ』の検証も行っている。
最後に、これまで具体例で挙げた作品例の中のテーマを含み、尚且つ「前思春期性」を描いているものとして、九十 九〇年代後半に台頭してきた少女マンガ創作集団であるCLAMPの作品を挙げている。
CLAMPの作品は、思春期女子の心の深層の壮絶な世界を鋭く、象徴的に表現することに成功していると著者は言う。
終章では、著者が行ったスクールカウンセリングの過程を述べつつ、どの点がアニメとシンクロするのか、思春期の女の子たちがそれをどのように感じているのかが述べられている。
本書は、どの作品においても作品の概要が入り 引用されている作品すべての概要が紹介されており、内容を知らない人でも分かりやすくなっている。
また、心理学的な用語においても丁寧な解説が入り、誰でも簡単に読むことができるようになっていて、少女心理理解の指南書になっているだろう。
アニメと現実が交互に書かれていることによって、より理解しやすくなっている。
しかし、思春期と言っても少女のみに焦点を当てている点で、フォローしきれていない部分もある。
これは著者が始めに述べていることでもあるが、「深層心理学的アニメ論としての思春期論、あるいは、深層心理学的思春期論としてのアニメ論である」というように、具体例で挙げられているアニメを見るための手引書であるようにも感じるかもしれない。
本書で思春期のこころの全てが分かったように感じることには、危険を覚えるが、理解するための入り口には立てるのではないだろうか。
2005/05/10
[ 評者: K.I. ]
*1:または「批評」とする。「アニメのアニメ論」という言いまわしはくどい。
*2:この一文は長いうえに入り組んでいて、すっと頭に入りにくい。
*3:「男子」「女児」と表記がそろっていません。「男子」「女子」か、「男児」「女児」に統一する。
*4:このように修正しないと、「『セーラームーン』では、衛がタキシード仮面であり」と誤読される。
*5:男性性(男くささ)をあまり意識させない男性、ということですか?自分が男であることをあまり意識せずにふるまう男性、ということですか?このあとの「ガウリィ」についての文も含めて、意味がよくわかりません。
*6:何の具体例?ここもよく意味がわからない
[ comment ] 文章がぶつぎりで、読むときに、流れやリズムがつかみにくい。
たとえば、著者はこの本全体で何を言いたいのでしょうか。それをひと言でまず指摘しておき、それがこの章ではこう展開されている、次の章では……、というふうにまとめていくと、流れができる。
もちろん、別の流れの作りかたもありますが、このままだと「全体をまんべんなく縮めてみました」的な要約になっている。本全体の構造をつかんでください。
どうやってもそれがつかめない本は、そもそも構成の悪いダメな本です。
それから、肝心のポイントのところをもっと具体的に。
たとえば、「著者が行ったスクールカウンセリングの過程を述べつつ、どの点がアニメとシンクロするのか……が述べられている」とありますが、スクールカウンセリングの過程とアニメは、どうシンクロすると著者は述べているんでしょう?
書評の読み手としては、そこが一番知りたい(おもしろそうな)点。逆にいえば、このシンクロについての著者の議論が、常識を心理学用語で言いかえただけのありふれたものだったり、論理の飛躍のあるトンデモなものだったら、読む価値はない本ということなのですから。
どうシンクロしていると著者が述べているか、そのすべてを詳細に書くことはもちろん無理としても、具体例をひとつだけでも紹介してほしい。
ちなみに、アニメ――に限らず小説とか映画とかメディア文化――についての深層心理学的・精神分析的な読解・批評というやつには、トンデモ本が多い、という印象を私はもっています。
あくまで個人的な意見ですが。
この本がそうだというわけではありません(読んでいないので、私には何とも言えない)。
今度読んでみますので、貸してください。
それから、みなさんに書評してもらった本は、私も110冊全部読みますから。くれぐれも各自5冊分担くらいで、音を上げないように。
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