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     書 評 課 題 (第1回)  
  辻大介ゼミ6期    
 

武田徹 著
『若者はなぜ「繋がり」たがるのか―ケータイ世代の行方』
PHP研究所、2002年

平坦な戦場を生きる若者の姿

 いつの時代も「最近の若者」は上の世代から何かとレッテルを貼られるものだ。この書の主題は現代の『ケータイ世代』と呼ばれる若者たちの諸問題についてである。本書ではここ10年間の間にケータイとともに現れた若者たちを『ケータイ世代』と呼んでいる。

 筆者は、ケータイを手放しては生きていけない・部屋を片付けることができないというような若者の行動様式から、なんだか とも曖昧な若者言葉、メディアを席捲した宇多田ヒカル、そして現代の病理ひきこもりに至るまで、さまざまな角度からアプローチすることによって、“いま”の若者の姿を見極めようとしている。さまざまな雑誌に載った 掲載された文章を集めているため、全体はやや雑然としている。しかし ものの、一見ばらばらに見える若者の諸問題もその影には共通しているものがある。

 それは若者の「ケータイの作り出す電話共同体」に象徴されるような「目には見えない共同体」である。「ケータイの作り出す電話共同体」は「公共的な社会」ではない。ケータイを通じて繋がる それは「他者」の存在しない集団が「ケータイの作り出す電話共同体」である。利害や価値観などの“コード”同じ人間が緩やかに、しかししっかりと繋がっているのが「目に見えない共同体」である。それを維持するための装置がケータイであり若者言葉であり、若者たちの行動様式なのである。筆者が主張したいのは、そのような「共同体」を守るため、若者は「繋がり」に脅迫 強迫された日常を送っている、と筆者はいいたいのではないだろうか ということであるように思える。特に、本書の第1章、第2章を読めばそのことがよくわかる。

 本書の中で描き出される若者像は決して明るくはないが、かといって病理的というわけでもない。ごくごく普通の若者の姿が描き出されているのである。しかし、そのごくごく普通の彼、彼女たちの日常は、平坦な戦場とも言えるほどに複雑かつ、生きにくいものかもしれない。「共同体」というものが自身の周りにある限り、その微温的な関係(これを精神科医の大平健は『やさしさの精神病理』のなかで、携帯電話を通じた微温的な関係を*1 「ウォームライン」と呼んだ)平坦なものだろう[←*2。しかし、そのような微温的な関係のなかからは、価値観を異にし、時に対立をもたらす「他者」はあらかじめ排除される。それは見方を変えれば「他者」に対してまったくの「無配慮」「無関心」といえるのである。ケータイは、そのような若者の人間関係に対するスタンスを象徴しているのかのようである。

 この本の良い点は、携帯電話一つを論じるにしても、ひきこもり問題に詳しい精神科医の斎藤環氏、同じく精神科医の大平健氏、社会学者の宮台真司氏、思想家・浅羽道明氏などの論考を引用しているので、幅広い視点から問題を見ることができる、という点である。その一方、自分で考察している部分よりも引用が多いような気もしないではない。しかし、これは考えようによれば、他の論者の良い紹介本にも成り得るということである。*3
 もう1点、この本にいえるのは、表題の「若者はなぜ繋がりたがるのか」という問に対して、筆者は答えを出していない、という点である。あとがきで筆者は「答えの不在に早計な絶望をすることもなく、若さについて問い、考えつづける論考として、議論を硬直化させる「文化の老い」に抗う一つの力になれば著者として本望である」と述べている。この言葉からもわかるように、この本はありがちな〜だから駄目だ〜すべき、といった若者論の本とは一線を画している。しかし答え云々とは別に、各章ごとの考察がもう少し深ければ[←*4、この本はもっと読み応えのある本になっていただろう。テーマが多岐にわたっており、ひとつひとつの記事がそんなに長いものでもないので、仕方がないのかもしれないが。

 いずれにせよ、この本は多角的な視点から若者を知る上で、とても良い本といえる。一見バラバラでありながら、筆者の視点は微妙に繋がっている。1冊通して読みきったとき、読む前よりももっと若者について考えたくなる、そんな本である。

2005/05/21
[ 評者: S.K. ]

*1:同じ文のなかで「これを」と「微温的な関係を」が重複している。
*2:この一文、意味が今ひとつはっきりわかりません。「平坦」ということで何を言いたいのか?
*3:ほぼ同じことを、すでに「幅広い視点から問題を見ることができる」と述べているので、この一文は不要。
*4:「もう少し深ければ」と言いたいのであれば、やはり考察の浅薄さを指摘する部分が少しなりともほしい。

[ comment ]
「のである」の使いかたに一部気になるところはあるものの、基本的にはよく書けていると思います。
ただ、岡崎京子好きなのはわかりますけど、少し無理矢理「平坦な戦場」でまとめようとしてないでしょうか。「微温的な関係」を「平坦なものだ」と説明することで、逆によくわからなくなってしまっているし。そもそもこの本のなかには、岡崎京子も「平坦な戦場」も出てきてないんじゃなかったでしょうか。無理は禁物。読んだ人にとってのわかりやすさを心がけて。
いや私も個人的には、岡崎京子好きですけどもね。椹木野衣の評論『平坦な戦場でぼくらが生き延びること』は読みました?

 
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