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書 評 課 題 (第1回) | |||||
辻大介ゼミ6期 | |||||
千石保 著 「自分のことは自分で決める」「自分で決めたことだから」 日本の若者の間で、いわば「自己決定主義」とでもいうべき価値観が支持されるようになった。これが本書の主張である。*1 この「自己決定主義」はエゴイズム、ワガママの温床にもなりかねない。それは時として、法律や規則にも優先する。若者たちには自己決定オールマイティ主義とでもいう傾向が見られる。その一方で、社会的、公的なものに貢献したいともいう。 そんな 序章では、自己決定が実際に行われている教育の現場を具体例として挙げ、自己決定と規範の対立について論じている。 第一章では、性の自己決定において、宮台真司の『<性の自己決定>原論』で述べられた若者の性に対する自己決定主義に異を唱えている。筆者の主張する自己決定の前提である規範意識の部分が宮台論には決定的に欠けている点から、自己決定の正当性は見られないと 第二章では、日本、韓国、アメリカ、フランスの四カ国で行なわれた青年意識調査の分析と、そこから見える各国の若者の自己決定に対する捉え方について述べている。 この調査から、筆者は、日本の中高校生は、国を大切に、また家族を大切に、あるいは発展途上国に対する関心を持つことよりも、何よりも、「自分で選んで責任をとる」という自己決定主義に強く同調する、と結論づけた。 第三章では、筆者の過去に出版した自著を振り返りながら、若者論の変遷を辿っている。 第四章、第五章において、近年の若者現象と自己決定との関係について論じている。 筆者は、自己決定主義そのものを批判しているわけではない。「自己決定」は、まず規範意識が問われるべきだと主張する。 筆者が危惧するのは、規範意識を持たず、ワガママで自分勝手な、いわゆる「未熟な」自己決定が秩序の崩壊や自身の崩壊に繋がることだ。本書の
序章p.23で筆者は、「現代の子どもたちは、昔に比べると、とても自分勝手なところがある」と述べている。だが、これはいつの時代の子どもとの比較なのだろうか。また、この生徒たちの自己決定による新しい教育システムが、一般的にどれくらい普及しているのか、また、いつからこのように教育が変化したのかを明確に記述していない。 第一章では、子ども、特に未成年者の自己決定について、小学生や中学生に関しては、「判断能力が不十分だから、その自己決定は許されない」と主張するが、未成年であるが判断能力のある高校生に対しての筆者の見解がない。また、小学生や中学生に関しても、その責任の所在を明らかにしていない。本人が取れないならば、親が取るのか、学校がとるのか。そのあたりの筆者の見解が見られない。 第二章p.88で筆者は、「同調査から結婚前のセックスは自由だ」あるいは、「結婚は必ずしもしなくてはならない」という項目に賛成した女子中高生が多いことを指摘しているが、本書には、「中高生約1000人から回答を得た」としか記述されていない。男性、女性別の回答に関するデータは紹介されておらず、これでは若者か女子の考え方なのかが見えてこない。 また、結論部分では、「日本の若者は〜」と一括りにし、結論を導き出している点から、男女を分けて考えていないことが読み取れる。そして、最近の若者は云々といった件もあるが、この調査の過去の比較データは掲載されていない。よって、以前との比較は筆者の主観にすぎない。 筆者の少年犯罪に関する記述は個人の印象から述べられている点が多々見られる。当時に相次いだ17歳の事件を取り上げ問題視する一方で、それ以外のいじめなどの問題には触れていない。また、過去に類似する事件が起こっているにもかかわらず、自己決定主義の現代病のように指摘するには無理がある。 全体を通して、本書では過去の調査との比較がなされていない箇所が多く、「最近の若者は〜」云々の件は、最新の調査データのみを検証している点において、 過去の調査と合わせて比較すれば、 2005/05/12 *1:こういう断り書きを入れないと、書評した人の考えていることなのか、本で述べられていることなのかが、不明瞭。 [ comment ] |
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